モノつくりの町「日田市大山町」を目指して
「日田市」は大分県西部に位置し、周囲を青々とした杉の美林に囲まれた閑静な盆地です
日田市は江戸時代には幕府の直轄地「天領」として城下町の「豆田町」を中心に九州の政治経済の中心地として繁栄しました。
こういった歴史の影響か、日田市には林業、建築、彫刻、陶芸、漆芸、石彫など
生活のすべてをまかなえる程の「モノつくりの匠」が存在しています。
「ウッドアート楽」は日田市の端っこにある「大山町」にあります
大山町は山間の貧しい農村でした。
昭和初期の大山町(当時の大山村)は国が進める大規模な米作には、地形の制約でついていくことができず、住民は皆、困窮の極みだったそうです
そこで、大山の村人はこの土地では困難だと判断し、独自の方策として1962年から
「梅栗作ってハワイへ行こう!」をキャッチフレーズに大規模な農業改革を行い、水田を潰し果樹農業に切り替え
コスト意識を持った農業経営で、大きく村を潤してきました。
そしてキャッチフレーズ通り、多くの住民がハワイ旅行を実現し「住民のパスポート保有率全国一位」にもなりました。
そんな大山町も、過疎の波に大きく流され
隣接する日田市との統合を余儀なくされ、近年人口も減少の一途をたどっています。
しかし、豊かな自然はそのままに、道路事情は大きく整備され、福岡都市圏まで約1時間半という立地
さらに、近年のネットの発達で情報の面では何ら不便はありません。
もちろん、東京などの都会に比べ、圧倒的に少ない人口では
小売、サービス業などには不利であることは動かしがたい事実ではありますが、
ことモノつくりに関しては、広い土地と素材の豊富さは大きなアドバンテージだと感じています。
成熟期を迎えつつある資本主義社会の中で、手に取れない形のないものが、大量に流れるように消費され
それが大きな利益を上げる現在です。
それを否定するわけではないし、自分自身もその流れの一部を日常的に消費しているわけですが、
そんな時代だからこそ、一朝一夕にはできない「リアルなモノ」から生まれる品を求める人たちが
少なからず存在しているということを、今の仕事を通じて感じています。
そして、そんなモノつくりの世界にあこがれる若者もまた、存在しています。
私はモノつくりを志した、一職人として
ここに生まれ育った、故郷を愛する一住民として
伝統の町日田の中で、大山のパイオニア精神を生かし
この地がいつの日か、リアルなモノつくりたちの理想郷になってほしいと考えています。
ウッドアート楽
代表 矢羽田匡裕